100年の歴史をもつワイナリー
1909年に開設した「登美農園」。その後歴史の流れのなかで、何度か存在の危機にさらされながらも、ぶどう栽培が続けられてきました。
1936年「日本のワインぶどうの父」と言われる川上善兵衛と寿屋(現サントリー)の創業者、鳥井信治郎が経営を継承し、本格的ワインづくりがはじまりました。
1950年代には、「欧州系ワイン用ぶどう品種」への本格的な取り組みを開始。「登美の丘」という地でぶどうづくりをはじめて1世紀。今では、日本を代表するワイナリーとして毎年数々の国際コンクールで受賞する日本のワインを生み出しています。
ぶどうづくりに恵まれた環境 年間降水量の少ない山梨県、その中でも登美の丘は日本でも有数の少雨地帯のため、ぶどうにとっては好条件。 これは登美の丘が高い山に囲まれているからで、雨雲は高い山々(南アルプス、八ヶ岳、富士山、奥秩父山系)に阻まれて登美の丘に来ることが少なく、また春と秋の低気圧も周囲の山に阻まれて入って来ないのです。 さらに、日照時間日本一を誇る北杜市明野町が近隣にあり、登美の丘の南斜面はぶどう栽培にとって理想的です。 また、標高が高いため昼夜の気温差は10°C以上になる日も多く、一日の気温差が大きいほど、ぶどうは色が濃くなり糖度を高めることができるのです。
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「定番を超える定番」を生み出すこと、
それが2022年秋冬のテーマです。
未来に向けて帽子づくりを見つめ直します。