Yoshiyuki K 5 重い映画だし、観ていてつらくなる部分もある。その理由は、私達一人一人(先進国に住む人)がこの映画から告発されているからだと思う。この映画は、ファッション業界の問題点ー特に途上国での低賃金労働、人権問題、環境破壊ーについて暴いていく。どれも想像以上に深刻である。想像以上といったが、正直に言うと想像なんてしたことないのかもしれない。この映画の中でも言われていたが、どれだけ環境破壊があっても人権侵害があっても我々「消費者は商品しか見ない」のだ。ファッションの輝きは、その背景にある暗さ・非倫理的な作られ方をきれいに覆い隠してしまう。この構造が不思議である。我々は商品を買うとき、商品の品質と値段以上の物を見ようとしない。そのファッションの背後にある問題、特にそれを作っている人の苦労と環境破壊を見せられるので、私は告発されているように感じ不快感を感じた。しかい不快で終わらせてはならない程、深刻な問題だとストーリーが進むにつれ感じた。その無関心がまた現代人を貧しくしているのだと感じる。都合のいい事しか見ずに、背景にある暗さや問題点を見ないという所にこそ現代人の貧しさがあるのかもしれない。本当の自己の暗さを見せられる恐ろしい作品だ。題名「ザ・トゥルー・コスト」というのは、私たちが店頭で見る価格、安すぎる価格というのは多くの物がピンハネされた価格だという事だろう。ユニクロ、H&M、ZARA・・・安いといって喜んでいたが、その値段は多くの人間の健康被害、環境破壊といったコストがピンハネされた価格なのだ。本来保証されなければならないコストがまるで無視されている。だからあんなに安いのだ。一番心に残ったセリフは、シーマというバングラディシュ人のお母さんのセリフだ。シーマは縫製工場で働いている。「この国の労働者は朝から晩まできつい労働をこなします。厳しい労働で服を作っているんです。それが人々が着ている服なのです。作るのがどれだけ大変か人は知りません。ただ買って着るだけです。これらの服は私たちの血でできています。事故で多くの衣服労働者が亡くなりました。1年前はラナ・プラザが崩壊してたくさんの人が亡くなっています。私たちにとって本当につらいことなのです。血でできた服なんて誰にも着てほしくない。皆が気付くよう良い労働条件を求めます。ラナ・プラザのように危険を承知で労働を強いる雇い主は2度とごめんです。もう従業員にそんな風に死んでほしくありません。」・・・こんなに強く心に訴えてくる言葉はあるだろうか。血でできた服を私たちは着ているのだ。(ちなみに、バングラディシュでは2013年に1000人以上が死亡する事故が起こっている。ダッカ近郊の縫製工場が入った商業ビル「ラナ・プラザ」の崩落事故だ。)